企業の業績不振が続いた際、経営陣から「人件費削減のための給与カット」を打診される労務担当者は少なくありません。しかし、会社の業績不振を理由に従業員の給与を一方的にカットすることは、原則として認められません。
労働者の生活の糧である給与は労働契約の最も重要な要素であり、安易な減額は違法と判断されるリスクが極めて高いためです。一歩間違えれば、未払い賃金請求や労働基準監督署の指導、訴訟などの重大な労使トラブルに発展しかねません。
本記事では、労務担当者が知っておくべき「給与カット(賃金減額)が適法となるための厳格な条件」と、トラブルを防ぐための「正しい手続き」について解説します。
原則:会社の一方的な業績不振による給与カットは「違法」
結論から言えば、会社の業績不振を理由とした「一方的な給与カット」は原則として違法です。これには主に2つの法律が壁となります。
① 賃金全額払いの原則(労働基準法第24条)
労働基準法第24条では、「賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない」と定められています。税金や社会保険料、労使協定に基づく控除(社宅費など)を除き、会社が勝手に賃金を差し引いて支給することは、この「全額払いの原則」に違反し、労働基準監督署の是正勧告や罰則の対象となります。
② 労働条件の不利益変更の禁止(労働契約法第8条・第9条)
労働契約法第8条では、「労働者及び使用者は、その合意により、労働契約の内容である労働条件を変更することができる」とされています。裏を返せば、合意がない変更はできません。
さらに第9条では、「使用者は、労働者と合意することなく、就業規則を変更することにより、労働者の不利益に労働契約の内容である労働条件を変更することはできない」と明記されています。
つまり、「会社の業績が悪いから、来月から基本給を10%下げる」という会社からの通達だけでは、法的な効力は一切持ちません。

給与カットを適法に進めるための3つの方法
会社の業績不振などを理由に給与カットを実施する場合、法的に問題なく進めるためには主に3つの方法が考えられます。
方法1:従業員一人ひとりから個別に同意を得る【原則】
方法2:就業規則の不利益変更を行う【個別合意が得られない場合】
方法3:労働組合との労働協約を締結する【労働組合がある場合】
方法1:従業員一人ひとりから個別に同意を得る【原則】
業績不振による給与カットを適法かつ確実に行うための最も基本となるアプローチは、労働契約法第8条の規定に基づき、対象となる従業員一人ひとりと個別に交渉し、賃金減額の合意を結ぶことです。
しかし、労使間には本質的に交渉力の格差が存在するため、単に形式的な同意書に署名捺印をもらえば直ちに法的な効力が認められるわけではありません。
過去の最高裁判例などでも示されている通り、それが労働者の「自由な意思に基づく同意」であると客観的に認められるだけの厳格な基準をクリアしなければなりません。例えば「サインしなければ解雇する」といった直接的な強要や、十分な情報提供がないままの曖昧な同意は、後日労働トラブルに発展した際に無効と判断される極めて高いリスクを孕んでいます。
このような事態を防ぐため、会社側は従業員へ痛みを強いる前提として、まずは役員報酬のカットなど経営陣自らが責任を取る姿勢を明確な行動で示す必要があります。その上で、なぜ給与カットが不可避なのかを示す具体的な財務データや、減額の期間、各個人の減額幅、そして業績回復に向けた今後のロードマップなどを透明性をもって開示し、全社説明だけでなく必ず一対一の個別面談を実施して誠実な対話を尽くさなければなりません。
さらに、面談のその場で即時サインを迫る行為は厳に慎むべきです。家族と相談して生活への影響を考慮するための十分な検討期間(数日〜1週間程度)を必ず与えた後、最終的に減額の理由や条件が明確に記載された「労働条件変更同意書」を取得し、労使双方で客観的証拠として保管します。このように、真の納得を引き出すための極めて慎重かつ丁寧なプロセスを踏むことが労務担当者には求められます。

方法2:就業規則の不利益変更を行う【個別合意が得られない場合】
従業員の個別合意が得られない場合や、全社一律で賃金制度を改定する場合、最終手段として「就業規則の不利益変更」があります。
しかし、これは会社が一方的に断行できるものではありません。労働契約法第10条に基づき、変更が客観的に「合理的」と認められた場合のみ法的効力を持ちます。単に業績が不振であるというだけでは不十分で、万が一裁判等で争われた場合、この合理性は主に以下の4つの要件から総合的かつ厳格に判断されます。
① 労働者の受ける不利益の程度
変更によって従業員が被る不利益の程度は、その合理性を判断する上で重要な要素となります。生活を根底から脅かすような過度な減額は、その合理性が否定される可能性があります。また、一部の従業員にのみ極端に大きな不利益を負わせるような変更も、認められにくい傾向にあります。
② 高度な経営上の必要性
就業規則の変更によって賃金減額を行う場合、その合理性を満たすには「労働条件の変更の必要性」が客観的に認められなければなりません。
単に一時的な業績悪化というだけでは不十分であり、例えば経営破綻を回避するためにどうしても賃金カットが不可欠であるといった、高度な経営上の事情が必要です。
また、この必要性を裏付ける前提として、会社は一般社員の賃金カットに踏み切る前に、役員報酬の削減や遊休資産の処分、残業規制など、賃金カットを回避するための経費削減努力を十分に検討し実施していることが重要になります。万が一紛争になった場合には、こうした事情を企業側が証明できるよう準備しておく必要があります。
③ 変更後の内容の相当性
特定の部署や年齢層を不当に狙い撃ちにしていないか、同業他社の水準と比較して妥当かなどが問われます。また、業績回復時に給与水準を元に戻す規定を設けるなど、変更内容が社会通念に照らして相当である必要があります。
④ 不利益を緩和する代替措置と交渉プロセス
労働時間の短縮や一時金の支給など、不利益を緩和・補填するための代替措置(代償措置)を講じているかが考慮されます。また、労働組合や従業員代表に経営データを開示し、対案に真摯に回答しながら誠実な協議を重ねたかという「交渉のプロセス」も非常に重視されます。

就業規則の効力を発生させるための実務手続き
こうした厳しい条件を満たすため、労務担当者は形式的な説明で終わらせてはいけません。強い反発に対しては、段階的な減額などの修正案を提示し、最大限歩み寄る努力が不可欠です。
その上で、改定した就業規則に組合等からの意見書(反対意見であっても届出自体は可能)を添付し、労働基準監督署へ届け出ます。
そして最後に、社内イントラネットや説明会等を通じて全従業員へ確実に「周知」します。厚生労働省の見解通り、従業員が知ろうと思えばいつでも就業規則を確認できる状態にしなければ、変更の効力は発生しません。
ここまでの厳しい条件と手続きを経て、初めて就業規則変更の効力が適法に発生するのです。
方法3:労働組合との労働協約を締結する【労働組合がある場合】
会社に過半数または一定数の従業員で組織される労働組合が存在する場合、会社と労働組合が団体交渉を通じて給与減額について協議し、合意内容を「労働協約」として締結するという有効な選択肢があります。
労働組合法第16条が定める「規範的効力」により、この協約で定められた労働条件は就業規則や個別の労働契約に優先し、原則として所属する組合員全員に対して一律に適用されるため、個別合意の困難さを乗り越えて人事施策を進めることが可能です。
しかし、この強力な法的効力を生じさせるためには、会社側は単に業績不振を主張して譲歩を迫るのではなく、詳細な財務状況の開示や代替案の検討プロセスを透明化し、組合からの要求や疑問に対して真摯に応答する「誠実団交義務」を徹底して尽くす必要があります。
さらに実務上見落としてはならない注意点として、労働協約の効力は原則として非組合員には及ばないという点が挙げられます(一つの事業場で4分の3以上の労働者が当該組合員である場合に生じる「一般的拘束力(同法第17条)」が適用される例外を除く)。そのため、組合に所属していない管理職やパートタイム労働者等に対しても同様の減額を実施する場合には、別途一人ひとりと丁寧な面談を行い、法的に有効な「個別合意」を確実に取得するといった、二段構えの慎重な対応が必須となります。

どこまで減額できる?給与の性質別ハードルと法的な限界
給与カットと一言でいっても、「どの手当・どの部分を減額するか」によって法的なハードルや認められる範囲は全く異なります。
従業員の生活の基盤となる基本給の減額は最も難易度が高く、最後に手をつけるべき聖域とされています。一方で、会社の業績に連動する賞与は比較的着手しやすい性質を持っています。
また、業績不振とは別次元の話として「懲戒処分としての減給」の厳格な上限が存在します。労務担当者は、これらの性質と法的な限界を正確に理解し、経営陣に正しい助言を行う必要があります。
基本給の減額は「最後の手段」
基本給は毎月定額で支払われる賃金の中核であり、住宅ローンや生活費など、従業員の生活設計の根幹を成すものです。そのため、基本給の減額は労働契約の根幹に関わる重大な不利益変更とみなされ、法的なハードルが極めて高くなります。
個別合意を得る場合であっても、真に自由な意思に基づく同意でなければ無効とされるリスクが常に付きまといます。また、就業規則の変更によって減額を強行する場合、「倒産を回避するための高度な経営上の必要性」が求められます。
万が一裁判になった場合、基本給の減額幅については個別の事情が考慮されますが、大幅なカットは従業員の生活に著しい影響を与えるものとして無効とされる可能性が高くなります。そのため実務上は、基本給に手をつける前に、まずは業務に直接関係のない属人的な手当(住宅手当や家族手当など)の見直しから検討すべきです。
賞与のカットは、就業規則の「業績連動条項」が鍵
賞与(ボーナス)は、生活給としての性質も持ちつつ、功労報償的・業績連動的な性質が強いため、基本給に比べて会社の裁量が広く認められています。
そのため、就業規則や賃金規程に「会社の業績や個人の成績によっては、賞与を減額または支給しないことがある」という明確な規定があれば、会社側は業績不振を理由に賞与の原資を減らしたり、全額不支給としたりすることが可能です。
ただし、注意点として例外もあります。年俸制などで「賞与として年間〇〇万円を確実に支払う」と確定的に約束している場合や、すでに支給日を過ぎて労働者の「賃金請求権」として権利が確定している過去の賞与を遡ってカットすることは違法となります。
【注意】「業績不振の給与カット」と「懲戒処分による減給」は全くの別物

経営陣が陥りがちなミスとして、業績悪化時に「パフォーマンスが悪い社員の給料を罰として下げる」といったように、人事施策と懲戒処分を混同してしまうケースがあります。
従業員の就業規則違反や非違行為に対する「懲戒処分としての減給」には、労働基準法第91条によって極めて厳格な上限が定められています。
・1回の事案に対する減給上限: 平均賃金の1日分の半額まで
・1賃金支払期(1か月)の減給上限:賃金総額の10分の1まで
たとえば、月給30万円(1か月の所定労働日数20日)の従業員が就業規則違反を起こした場合、1回の違反行為に対してペナルティとして減額できるのは、最大でも「5,000円(平均賃金1万円の半額)」までです。さらに、遅刻や無断欠勤などの違反行為が月に何度も重なり、1回5,000円の減給が複数回分蓄積したとしても、その月の給与から差し引ける総額は最大でも「3万円(賃金総額の10分の1)」までです。複数事案によって上限を超える減額分は翌月以降の給与に繰り越して処理する必要があります。
この上限を超える減額は労働基準法違反となるため、「業績不振による給与制度の改定(不利益変更)」と「懲戒処分」は明確に切り離して実務を進める必要があります。
なお、平均賃金の計算方法については、「平均賃金の計算方法|休業手当・解雇予告手当の例と注意点」で詳しく紹介しています。
業績不振による給与カットに関するよくある質問
ここでは、業績不振による給与カットに関して、企業の労務担当者から多く寄せられる質問について回答します。
個別面談で「絶対に同意しない」と強く拒否する従業員にはどう対応すべきですか?
強要や、同意しないことを理由とした不利益な扱いは厳禁です。
同意を拒否したことを理由とする解雇や不当な配置転換(左遷)などは、権利の濫用として違法となります。どうしても個別合意が得られない場合は、その従業員には従来の給与を維持しつつ粘り強く協議を続けるか、全社的な制度改定として「就業規則の不利益変更」という、よりハードルの高い手続きへ移行することになります。
雇用維持のために「休業」を実施する場合、休業手当の支払いは必須ですか?
必須です。
業績不振(会社都合)による休業の場合、労働基準法第26条により平均賃金の6割以上の休業手当を支払う義務があります。これを下回ることは違法です。ただし、要件を満たせば国から「雇用調整助成金」を受給でき、会社の実質的な負担を大幅に軽減できるため、給与カットの前にまず検討すべき有効な選択肢です。
まとめ
業績不振を理由とした給与カットは、経営陣が一方的に決定できるものではなく、労働基準法や労働契約法に基づいた厳格な手続きが必要です。従業員の自由な意思による個別合意や、高度な合理性を持つ就業規則の変更など、法的な要件を確実に満たさなければなりません。安易な減額の強行は、未払い賃金の請求といった深刻な労使トラブルに直結します。
労務担当者には、具体的な財務状況の開示や役員報酬の先行削減など、誠実な姿勢で従業員の納得感を得ることが求められます。雇用調整助成金の活用といったリスクの低い代替案から検討し、信頼関係を維持するための慎重な対応を尽くしてください。
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執筆:吉田 優一(社会保険労務士法人ONE HEART 代表・社労士)
社会保険労務士法人ONE HEARTの代表社労士。慶應義塾大学中退後、社会保険労務士試験に合格。その後社会保険労務士法人に勤務し、さまざまな中小企業の労務管理アドバイス業務に従事する。その中で、正しいノウハウがないためヒトの問題に悩む多くの経営者に出会う。こうした経営者の負担を軽減しながら、自らも模範となる会社づくりを実践したいという想いから、社会保険労務士法人ONE HEARTを設立。


