始末書の提出を拒否したことを理由とする懲戒処分は、原則として困難であるとされる見解が多く存在しますが、裁判例においては、始末書の提出拒否を理由とした懲戒処分が許容されるケースも存在します。これは、始末書が反省や謝罪の意思表示を含むため、個人の思想・良心の自由(憲法19条)に関わるという見方がある一方で、使用者の企業秩序維持権に基づき、人格を無視しない限り謝罪の意思を含む始末書の提出を命じることができ、拒否した場合は懲戒処分も可能とする判例もあるためです。
一方、業務上の事実報告を目的とする「顛末書」の提出は、業務命令として指示することが可能です。社員が正当な理由なく提出を拒否した場合、これは業務命令違反として懲戒処分の対象となる可能性があります。
したがって、会社としては、これらの文書の性質の違いを理解し、適切な対応をとることが求められます。
そもそも始末書とは?目的と顛末書との違いを正しく理解する
始末書は、会社の服務規律に違反した社員や、業務上のミスやトラブル、不祥事を起こした本人が、謝罪と反省の意を示すとともに、同様の事態を二度と引き起こさないことを誓約するために会社へ提出する書類です。
懲戒処分の一種である「譴責(けんせき)」の際に提出を求められることが多く、会社としては本人に問題行動の重大性を認識させ、自発的な改善を促すことを目的としています。
本人の内省を促す性格が強い文書といえます。
始末書が持つ3つの目的
始末書には主に3つの目的があります。
第一に、発生したミスや不祥事の事実関係を本人の言葉で明確にさせることです。
これにより、会社は問題の経緯を正確に把握できます。
第二に、本人に対して公式に謝罪と反省の意を示させることです。
これにより、問題行動に対する責任感を自覚させます。
第三に、将来に向けた再発防止を具体的に誓約させることです。
これにより、同じ過ちを繰り返さないという本人の意識を高め、服務規律の重要性を再認識させる効果が期待されます。
事実報告のみを求める「顛末書」との明確な違い
始末書が謝罪や反省といった主観的な内面の表明を含むのに対し、顛末書はトラブルや事故、クレームなどの一部始終を客観的に報告するための書類です。
顛末書に求められるのは、いつ、どこで、誰が、何を、なぜ、どのようにしたのかという事実関係の報告であり、謝罪や反省の意思表示は必須ではありません。
そのため、顛末書の提出は、事実報告を求める純粋な業務命令として扱われます。
この「謝罪・反省の意思表示の有無」が、始末書の提出と顛末書の提出を区別する最も重要な違いです。
顧客からの苦情や業務上の事故が発生した際の原因究明のために提出を命じることが多いです。
始末書の提出を社員が拒否できる法的根拠とは?
社員が始末書の提出を拒否された場合、その対応に苦慮する企業は少なくありません。
しかし、社員には提出を拒否する法的な根拠が存在します。
これは、始末書が単なる業務報告書ではなく、本人の内面にある反省や謝罪の意思を表明させる性質を持つためです。
企業側は、この法的根拠を理解しないまま提出を強要すると、違法な業務命令と判断されるリスクがあるため、慎重な対応が求められます。
憲法で保障される「思想・良心の自由」と業務命令の境界線
日本国憲法第19条は「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と定めています。
始末書に記載を求める「反省」や「謝罪」は、個人の内面における心情の表明であり、この「思想・良心の自由」によって保護される領域です。
そのため、会社が業務命令権に基づき、社員に対して心にもない反省や謝罪を強制することは、憲法で保障された権利を侵害する行為と見なされる可能性があります。
企業の業務命令権は万能ではなく、個人の基本的な権利を侵害しない範囲内で行使されるべきという境界線が存在します。
【重要判例】裁判所は謝罪や反省の強制を認めていない
過去の裁判例においても、企業が従業員に対して始末書の提出を強制することの妥当性が争われてきました。
多くの判例では、企業が従業員に謝罪文や反省文の提出を強制することは、思想・良心の自由を侵害するものであり、業務命令権の範囲を逸脱しているとして無効と判断されています。
例えば、事実関係の報告に留まらず、謝罪や反省の意思表示を強制する始末書の提出命令は、権利の濫用にあたるとした判例も存在します。
これらの判例は、企業が強制できるのは客観的な事実報告までであり、内心の表明にまで踏み込むことはできないという司法の判断を示しています。
始末書を提出しない社員に懲戒処分を下せるのか?
始末書の提出拒否を理由とした懲戒処分については、裁判所の判断が分かれる傾向にあります。かつては、始末書の提出強制が思想・良心の自由を侵害するおそれがあるとし、提出命令自体が無効と判断されるケースもありました。しかし、近年の裁判例では、合理的な理由に基づいて始末書の提出を求めたにもかかわらず、従業員が提出を拒否し、問題行動を続ける場合には、懲戒処分が正当と判断されるケースも多く見られます。
したがって、提出拒否のみをもって直ちに懲戒処分が無効となるわけではなく、提出を求める書類の性質や拒否の状況、就業規則の定めなどによって、処分の有効性が判断されます。
業務命令違反として懲戒処分が認められたケース
始末書の提出拒否そのものではなく、客観的な事実関係の報告を求める「顛末書」や「報告書」の提出を業務命令として明確に指示したにもかかわらず、社員が正当な理由なくこれを拒否した場合には、業務命令違反が成立します。
この場合、企業は就業規則の懲戒規定に基づき、譴責や減給などの懲戒処分を科すことが可能です。
重要なのは、命令の内容が謝罪や反省の強制ではなく、あくまで業務上必要な事実報告の範囲に留まっていることです。
この点を明確に文書で指示し、記録しておくことが求められます。
「二重処罰」の注意点
懲戒処分には「二重処罰の禁止(一事不再理)」という原則があります。
これは、一度処分を下した同一の非違行為に対して、再び懲戒処分を科すことはできないというルールです。
例えば、ある不祥事に対して懲戒処分の一種である「譴責処分」として始末書の提出を命じたとします。
このとき、社員が始末書の提出を拒否したからといって、同じ不祥事を理由に、より重い減給や出勤停止などの懲戒処分を改めて科すことは二重処罰にあたり、原則として認められません。
提出拒否は、元の不祥事とは別の問題として捉える必要があります。
始末書の提出を拒否された場合の適切な対応フロー
社員から始末書の提出を拒否された場合、感情的に対応するのではなく、法的なリスクを回避しながら段階的かつ冷静に対応することが重要です。
懲戒処分の妥当性が問われる事態を避けるためにも、客観的な事実に基づいた適切な手順を踏む必要があります。
ここでは、実務上推奨される対応フローを3つのステップで解説します。
ステップ1:まずは業務命令として「顛末書」の提出を指示する
社員が反省や謝罪を内容とする始末書の提出を拒否した場合、次の手段として、事実関係の報告のみを求める「顛末書」または「報告書」の提出を業務命令として明確に指示します。
その際、口頭ではなく、書面で「謝罪や反省の意思表示は不要であり、発生した事象について客観的な事実のみを報告すること」を明記した指示書を交付することが重要です。
これにより、命令の内容が思想・良心の自由に踏み込むものではなく、正当な業務命令であることを明確化できます。
ステップ2:提出拒否の経緯を客観的な事実として記録に残す
顛末書の提出を指示した後も社員が拒否した場合は、その経緯を客観的な証拠として記録しておくことが不可欠です。
具体的には、いつ、どのような内容の業務命令書を手渡したか、それに対して社員がいつ、どのような理由で提出を拒否したかなどを、時系列で詳細に記録します。
可能であれば、面談の議事録を作成し、本人に内容を確認させて署名を求めることも有効です。
これらの記録は、将来的に人事評価や懲戒処分、あるいは訴訟に発展した場合に、会社が適切な手順を踏んだことを証明する重要な証拠となります。
ステップ3:懲戒処分ではなく人事評価で反省の態度を考慮する
顛末書の提出拒否に対して、直ちに懲戒処分を発動するのではなく、まずは人事評価でその態度を考慮するという方法が有効です。
賞与や昇給・昇格の査定において、「職務態度」「協調性」「改善意欲」といった評価項目で、業務命令に従わない姿勢や反省が見られない点をマイナス評価として反映させます。
これは懲戒処分ではないため、二重処罰の原則には抵触しません。
社員の反省の態度を、懲戒処分という直接的な罰ではなく、人事上の評価という形で間接的に処遇へ反映させるアプローチです。
社員への指導で注意すべきパワハラと判断されかねないケース
社員への指導において、始末書の提出を求める際には、その方法や言動がパワーハラスメントと見なされないよう細心の注意が必要です。
例えば、客観的に見て軽微なミスであるにもかかわらず、執拗に何度も始末書の提出を強要する行為は、指導の範囲を逸脱していると判断される可能性があります。
また、他の社員がいる前で大声で叱責しながら提出を迫ったり、提出された内容に対して「反省の色が見えない」などと人格を否定するような言葉を浴びせて何度も書き直しを命じたりする行為も、精神的な攻撃と見なされ、パワハラに該当するリスクが高まります。
どうしても解決しない場合は合意退職を目指す
服務規律違反を繰り返し、顛末書の提出命令にも応じず、指導によっても改善の見込みが立たない社員については、最終的な選択肢として退職勧奨を検討することがあります。
退職勧奨は、会社が社員に対して合意による労働契約の終了を申し入れる行為であり、解雇とは異なります。
あくまで社員の自由な意思に基づく合意が前提となります。
これまでの指導記録や業務命令違反の事実を基に、会社としては雇用を継続することが困難である旨を伝え、退職に向けた話し合いを進めていくことになります。
始末書に関するよくある質問
ここでは、始末書の取り扱いに関して、企業の人事労務担当者から寄せられることの多い質問とその回答をまとめました。
Q. 顛末書の提出さえも拒否された場合はどうすればいいですか?
事実報告を目的とする顛末書の提出は、一般的には業務上の要請として理解されます。ただし、顛末書の提出を拒否した際に、直ちに業務命令違反として懲戒処分が可能であるかどうかは、個別の状況や関連法規、判例に基づいた慎重な検討が必要です。従業員の意思の自由を尊重する観点から、その提出を懲戒処分で強制することは、常に許されるとは限りません。
懲戒処分を検討する際には、違反行為の性質、程度、従業員の状況などを総合的に考慮し、処分の妥当性とのバランスを図る必要があります。
Q. 提出された始末書の内容に反省の色が見られない場合、書き直しを命じられますか?
反省の意思表示は内心の自由に関わるため、反省が不十分であることのみを理由に書き直しを強制することはできません。
そのような命令は無効と判断されるリスクが高いです。
ただし、報告された事実関係に誤りや不足がある場合は、その部分の訂正や追記を業務命令として指示することは可能です。
Q. 始末書の提出を拒否し続ける社員を最終的に解雇することは可能ですか?
始末書の提出拒否という事実のみを理由として社員を解雇することは、懲戒権の濫用とみなされ、無効となる可能性が極めて高いです。
ただし、提出拒否の原因となった非違行為自体が解雇に相当するほど重大である場合や、再三の業務命令違反を重ねるなど、他の要素も総合的に考慮した結果、解雇が有効とされる余地はあります。
労務トラブルの未然防止と早期解決は社会保険労務士法人ONE HEARTへ
職場内でのトラブルは、単なる当事者間の問題に留まらず、企業の安全配慮義務違反や使用者責任を問われる重大な経営リスクに直結します。
特に始末書の提出拒否をめぐる問題は、対応を誤ると不当な懲戒処分として訴えられる危険性も含んでいます。
当法人では、事実確認の具体的な進め方から就業規則に基づく適正な処分の検討まで、実務経験豊富な社労士が貴社の状況に即して的確にアドバイスいたします。
事態を放置したり、法的な根拠のない誤った判断を下したりすることは、従業員の離職や深刻な法的紛争を招く恐れがあります。
トラブルを早期に収束させ、再発防止に向けた風通しの良い職場環境を再構築するためにも、専門家の視点を取り入れることが重要です。
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まとめ
社員が始末書を拒否した場合、企業は法的な境界線を理解し、冷静に対応する必要があります。
反省や謝罪を内包する始末書の提出強制はできず、これを拒否したことのみを理由とする懲戒処分は無効とされるリスクが高いです。
一方で、客観的な事実報告を求める顛末書の提出は業務命令として有効であり、正当な理由なき拒否は懲戒処分の対象となり得ます。
提出拒否に際しては、まず顛末書の提出を指示し、その経緯を記録した上で、人事評価への反映を検討するのが現実的です。
感情的な対応は避け、あくまで就業規則と法的な根拠に基づいて段階的な手順を踏むことが、労務リスクの管理につながります。
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執筆:吉田 優一(社会保険労務士法人ONE HEART 代表・社労士)
社会保険労務士法人ONE HEARTの代表社労士。慶應義塾大学中退後、社会保険労務士試験に合格。その後社会保険労務士法人に勤務し、さまざまな中小企業の労務管理アドバイス業務に従事する。その中で、正しいノウハウがないためヒトの問題に悩む多くの経営者に出会う。こうした経営者の負担を軽減しながら、自らも模範となる会社づくりを実践したいという想いから、社会保険労務士法人ONE HEARTを設立。


